旅は、人生を変えるためにある――英国で体験した『カバラ・巡礼の道』
2026/09/14
成長するために、一人で旅に出ると決めた
こんにちは。大阪・箕面占いスクールラブアンドライトの吉田ルナです。
今回のイギリス旅行は、ただ観光をするための旅ではありませんでした。
一番の目的は、イギリスで開催されるカバラのサマースクールに参加すること。
カバラは、長い歴史を持つ神秘思想のひとつで、その中心には「生命の木」と呼ばれる象徴的な体系があります。生命の木には、人間の意識や成長、そして目に見える現実世界と、目には見えない世界とのつながりが示されています。私は2000年頃から少しずつカバラを学んできました。今回の旅も、その学びをさらに深めるためのものでした。
けれど実は、最初からイギリスへ行くつもりだったわけではありません。円安や燃料費の高騰もあり、海外旅行にはかなり費用がかかります。日本から参加する他のメンバーは関東在住で、サマースクールの前にスペインを観光して、そこからイギリスへ入る予定でした。私は関西から一人での参加です。予算のことを考えると、スペイン観光まで参加するのは難しい。それどころか、最初はイギリスへ行くこと自体も迷っていました。
それでも「行こう」と決めたのは、私の師であるひろみ先生が参加するイギリスのカバラ・サマースクールが、今回で最後になると聞いたからです。それなら、今回を逃したくない。そう思いました。
自分の成長のために。もう一度、深く学ぶために。スペイン観光には参加せず、一人でロンドンへ向かうことにしました。一人で海外現地集合。しかも私は海外旅行に慣れているわけでもなく、英語もほとんど話せません。正直、不安はかなりありました。
それでも、日常の中にいたままでは出会えないものがある。少し怖くても、自分から扉を開けて外へ出てみる。その一歩が必要なのではないかと思いました。
自宅を出てからロンドンに着くまで、トランジットを含めると約24時間。飛行機の中では、私のことを知っている人は誰もいません。家族も、仕事仲間も、いつも会う人たちもいない。ただ一人で、知らない場所へ向かっている。慣れないことだらけで、緊張し続ける孤独で時間でした。
それでも飛行機は進み、私は少しずつ日常から離れていきました。日本を出て、空を越えて、知らない国へ向かう。移動は想像以上に長く、途中では疲れすぎて吐いてしまうほどでした。
今振り返ると、この時点ですでに、今回の「巡礼の道」は始まっていたのだと思います。
ただ、「ロンドンでみんなに会う」その気持ちを持って、私はイギリスへ向かっていました。
知らない土地を歩く――コッツウォルズで出会った「扉」
ロンドンに着いた日は、パディントン駅近くのホテルに一泊して体を休めました。
長い移動でかなり疲れていたのでですが、パディントン駅に来たとき、「イギリスに来たんだ」と嬉しくなりました。
翌日は、一人でコッツウォルズのバスツアーに参加しました。実は、以前にもコッツウォルズを訪れたことがあります。ただ、その時は雨で、思うように観光できませんでした。今回はそのリベンジです。
ガイドは英語。説明をすべて理解できるわけではありませんでしたが、「集合時間」と「集合場所」だけは絶対に聞き逃さないようにしていました。知らない土地を一人で歩く。いつもと違う空気の中で、見たことのない景色を見る。それだけでも、日常からかなり遠くへ来たような感覚がありました。
バーフォード、バイブリー、ボートン・オン・ザ・ウォーター、ストウ・オン・ザ・ウォルド、そしてブロードウェイ・タワー。
コッツウォルズらしい石造りの街並みや、水辺の風景を見ながら、一つひとつの村を巡っていきました。
私はウィリアム・モリスが好きなので、バイブリーやブロードウェイ・タワーなど、彼とゆかりのある場所を実際に歩けたことも嬉しい体験でした。
けれど、この日の中で一番心に残ったのは、ストウ・オン・ザ・ウォルドにあるセント・エドワード教会の扉でした。
古いイチイの木が、扉の両側から包み込むように伸びています。まるで、こちらの世界と向こうの世界の境目にあるような、不思議な扉です。
私はその扉の前に立った時、
「これから私は、学びの扉を開けるんだ」と思いました。
まだサマースクールは始まっていません。期待もありました。
でも同時に、英語の授業についていけるだろうか。ちゃんと理解できるだろうか。自分は何を受け取ることになるのだろうか。そんな不安もありました。
扉の向こうには、まだ自分の知らない世界がある。
開けてみなければ分からない。けれど、開けなければ何も始まらない。その時の自分の気持ちと、この教会の扉が不思議なくらい重なって見えました。
あとから振り返ると、この扉は今回の旅全体を象徴していたようにも思います。
日本の自宅を出て、飛行機に乗り、知らない土地へ来たこと。そしてこれから、カバラの学びの中でも、今までとは少し違う世界へ入っていこうとしていたこと。私はまだ、この扉の向こうでどんな体験が待っているのか知りませんでした。
ただ、少し緊張しながらも、「ここまで来たのだから、進んでみよう」そんな気持ちで、その場所に立っていました。
仲間と出会う――孤独な旅が、安心へと変わった瞬間
コッツウォルズを一人で巡った夜、日本から参加するメンバーと合流しました。その瞬間、私は思っていた以上にホッとしました。
一人旅を楽しんではいたけれど、ずっと心のどこかに緊張がありました。
英語が分からない。知らない土地にいる。何かあっても、その場で頼れる人がいない。そんな小さな不安を抱えながら、ずっと気を張っていたのだと思います。だからこそ、日本語で話せる仲間の顔を見た時、ロンドンの先生が笑顔で迎えてくれたとき、本当に嬉しくなりました。
「よかった」という安心感が一気に広がりました。
一人で旅をすることには、一人だからこそ得られるものがあります。
自分で決めること。自分で考えること。自分の足で進むこと。それは、とても大切な経験です。でも同時に、人はずっと一人では進めない。
誰かと同じ場所を見て、「きれいだね」「すごいね」と笑い合うこと。困った時に声を掛け合うこと。分からないことがあれば、一緒に考えること。そんな何気ないことが、どれほど心を支えてくれるのか。今回、あらためて感じました。
仲間って、本当に大切です。
仲間と一緒に宿泊し、翌日は、イギリス在住の方にも案内していただきながら、みんなでロンドンの街を巡りました。
まず訪れたのが、Horizon 22。高い場所からロンドンの街全体を見下ろしました。
地上を歩いている時には見えなかった街の広がりや、テムズ川が街の中を流れていく様子が一度に見えます。
古い建物と新しい建物が混ざり合い、その間を人々が行き交っている。長い歴史の上に、今の生活が積み重なっている。そんなロンドンという街全体の営みを、高い場所から眺めているような感覚がありました。
そして今度は地上へ降り、実際に街を歩きます。建物の間を歩き、人の流れを感じ、街の音を聞く。高い場所から見ていた街の中に、自分自身が入っていく。その感覚も、とても印象に残っています。
さらにUber Boatに乗り、テムズ川を進みました。陸から見るロンドンとは違い、川の上から眺める街には、また別の表情があります。水の流れに乗りながら街を進み、やがてビッグ・ベンの近くへ。
空からイギリスへ入り、高い場所から街全体を眺め、地上を歩き、そして川を進む。
あとから振り返ると、私はいろいろな高さや場所から、この土地を感じていたのだと思います。そして何より、その時間を一人ではなく、仲間と一緒に過ごしていた。それが、私にとってとても大きな安心でした。一人で歩いてきた旅の途中で、仲間と出会う。
それだけで、景色の見え方まで少し変わる。今回の旅で、私はそんなことも感じました。
必要なものを受け取り、いよいよ学びの場へ
ロンドンの街を歩いたあと、私が立ち寄りたかった場所のひとつがWatkins Booksでした。
ここは、タロット、占星術、カバラ、神秘学などの本や資料が並ぶ書店です。
私は占いを仕事にしているので、こういう場所に来ると、つい時間を忘れてしまいます。今回も、タロットカードや占星術に関する資料、これからの鑑定や学びに役立ちそうなものをいくつか購入しました。
旅先で本やカードを手に入れることは、私にとって単なる買い物ではありません。
その時の自分が何に惹かれているのか。これから何を深めていきたいのか。そんなことが、選ぶものにも表れる気がします。
コッツウォルズで「学びの扉」を前にして、ロンドンの街を歩き、川を渡り、仲間と出会い、そして、自分に必要だと思う本や資料を手にする。そうやって少しずつ、私はサマースクールへ向かう準備をしていたのだと思います。
そして、いよいよカバラのサマースクールが始まりました。
ここでの学びについては、前回の記事でも書きましたが、生命の木や四世界についてのレクチャーだけではなく、瞑想やワークを通して、自分自身の内側で体験していく時間がたくさんありました。
そしてサマースクールの最終日。先生による特別な「巡礼の道」の瞑想を行いました。
その瞑想が始まった時、私は少しずつ不思議な感覚を持つようになりました。
「これは、今回の私の旅そのものではないだろうか」
そう感じたのです。
「巡礼の道」の瞑想と、今回の旅が重なった
サマースクールの最終日に行った「巡礼の道」の瞑想。
この瞑想では、巡礼者が家を出て、旅に出ます。途中で仲間と出会い、ともに歩き、やがて聖なる場所へたどり着く。そしてそこで、神のエネルギーを受け取ります。
カバラでは、生命の木を通して、目に見える現実世界と、目には見えない世界とのつながりを学びます。
その中でも創造界は、「私が私として存在する意味」や「この世に生きるための大きな設計図」がある世界として捉えます。
巡礼の道瞑想でいう「神のエネルギーを受け取る」という体験は、私にとっては、この創造界のエネルギーに触れることとも重なって感じられました。
そして瞑想の中でその道をたどっているうちに、「これは、今回の私のイギリス旅行と同じではないか」と思ったのです。
私は、自分の成長と学びのために家を出ました。飛行機に乗り、長い時間をかけて、誰も自分を知らない場所へ向かいました。
知らない土地を一人で歩き、不安も孤独も感じました。そして旅の途中で、日本から来た仲間と出会いました。
仲間と共に一緒にロンドンを歩き、高い場所から街を眺め、テムズ川を進み、必要な本や資料を手に入れました。
そして、サマースクールという学びの場へ入っていきました。
そこで先生から教えを受け、瞑想やワークを体験し、世界中から集まった人たちの人生や考え方に触れました。まるで、自分の現実の旅が、そのまま瞑想の中の巡礼の道をたどっていたようでした。
家を出る。一人で進む。仲間と出会う。学びの学校の門を開け、聖なる場所へ向かう。
そこで何かを受け取る。
そして、再び現実の世界へ戻っていく。
瞑想をしながら、私はその一つひとつを、自分自身の今回の旅と重ねていました。
それは単なる偶然というより、「私はこの旅を通して、カバラで学んでいることを現実の世界で体験しているのかもしれない」そんなふうに感じる時間でした。
瞑想の中の「聖なる場所」を、現実の世界でも感じてみたかった
サマースクールが終わったあと、私はフリーメーソン・ホールを訪れました。
以前にも訪れたことがある場所ですが、今回は少し意味が違っていました。
サマースクールで生命の木や四世界について学び、瞑想の中で創造界へ意識を向ける体験をしたあとだったからです。カバラでは、目に見えない世界で受け取ったものが、少しずつ形を持って現れてくると考えます。
創造界にある大きな意味や設計図が、形成界で象徴やイメージとして具体化され、やがて物質界に形となって現れる。
私は今回、フリーメーソン・ホールの空間を歩きながら、そのことを強く感じました。
幾何学的な構造。象徴。儀式のために整えられた空間。日常とは明らかに違う空気。
そこには、目には見えない何かを、形あるものとして表現しようとする世界が広がっていました。
私にとってそれは、瞑想の中で体験する「至聖所」のような場所を、現実の世界で見ているような感覚でした。
もちろん、瞑想で体験する世界と、実際の建物は同じものではありません。
でも、目には見えないものを象徴や空間として表現しようとするその姿に、私は形成界の働きを重ねて見ていました。
創造界で受け取ったものが、象徴となり、形となり、人が実際に入ることのできる空間になる。そんな流れを、目の前で見ているように感じたのです。
「聖なる場所」というのは、どこか遠い世界にだけ存在するものではなく、私たちが象徴や祈り、意図を持って形づくることでも、現実の中に現れてくるのかもしれません。
サマースクールで体験した学びと、フリーメーソン・ホールで見た現実の空間。その二つが、自分の中でひとつにつながったことも、今回の旅でとても印象に残った出来事でした。
聖なる体験のあと、現実世界の厳しさに戻る
旅の終わりが近づき、いよいよ帰国の日を迎えました。
その日のフライトは夕方だったので、午前中はV&A(ヴィクトリア&アルバート博物館)へ行きました。
私はウィリアム・モリスが好きなので、美しいデザインや装飾に囲まれた時間は、旅の最後を締めくくるような、とても幸せな時間でした。
その後、先生のご自宅へ戻り、軽い食事をいただいてから、荷物をまとめてヒースロー空港へ向かいました。
ところが、その途中で思いがけない出来事が起こりました。
財布をすられてしまったのです。
旅の疲れもかなり出ていました。
荷物も多く、フライトの時間も気になっていて、少し焦っていたのだと思います。
気づいた時には、財布がありませんでした。
慌てて先生に連絡し、日本にいる夫にも連絡して、クレジットカードを止めてもらいました。
幸い、パスポートは財布とは別に持っていたので無事でした。
また、移動用にクレジットカードを一枚だけ別に持っていたので、そのカードで空港まで移動し、必要な支払いをすることもできました。
そして、無事に日本へ帰ることができました。
サマースクールで学び、瞑想を体験し、フリーメーソン・ホールでは聖なる世界を思わせる空間に触れた。
その直後に、財布をすられる。
あまりにも現実的な出来事です。
けれど、今振り返ると、この出来事も今回の旅の一部だったのだと思います。
学びを深めたからといって、現実世界から困難がなくなるわけではありません。
人生には、思いがけない出来事も起こります。
失敗することもある。
困ることもある。
自分一人ではどうにもできないこともある。
それでも、その時できることを一つずつやっていく。
そして時には、誰かに助けてもらう。
今回も、先生や家族に助けてもらいながら、そして先に帰国した仲間に応援されながら、私は帰国することができました。
一人で旅をしているようで、決して一人だけで旅をしていたわけではなかった。
そのことを、最後の最後にもう一度教えてもらったように思います。
第1回の記事でも書きましたが、私たちはそれぞれ、人生の中で良いことも悪いことも経験しながら生きています。
大切なのは、困難が起こらないことではなく、その時にどう向き合うのか。誰かの助けを受け取れるのか。そして、もう一度前へ進めるのか。なのかもしれません。
聖なる体験も、美しい景色も、思いがけないトラブルも。
すべてを含めて、今回の旅だったのだと思います。
旅は、戻ってきてから始まる
今回のイギリス旅行を振り返ると、本当にいろいろなことがありました。
一人で家を出ると決めたこと。
長い移動の中で、誰も自分を知らない時間を過ごしたこと。
知らない土地を歩いたこと。
教会の扉の前で、「これから学びの扉を開けるんだ」と感じたこと。
仲間と出会い、安心したこと。
ロンドンの街を高い場所から見下ろし、地上を歩き、川を進んだこと。
必要な本や資料を手に入れたこと。
サマースクールで学び、瞑想やワークを体験したこと。
フリーメーソン・ホールで、象徴が形になった空間に触れたこと。
そして最後には、財布をすられるという思いがけない出来事までありました。
楽しいこともありました。不安もありました。感動もありました。困ったこともありました。けれど、その全部を含めて、今回の旅だったのだと思います。
サマースクール最終日に行った「巡礼の道」の瞑想では、巡礼者が家を出て、仲間と出会い、聖なる場所へ向かい、そこで神のエネルギーを受け取ります。
そして、最後にはまた自分の世界へ戻ってきます。
私は、この最後の「戻ってくる」ということが、とても大切なのだと思いました。
特別な場所へ行くこと。特別な学びを受けること。神聖な体験をすること。それだけが目的ではない。そこで受け取ったものを、自分の日常へ持ち帰る。
そして、その体験をした自分として、もう一度いつもの生活を生きていく。そこに、本当の意味があるのだと思います。
今回のサマースクールでは、もう一つ心に残った話がありました。
生命の木の四世界について学んでいる中で、創造界にいる天使たちについてのお話があり、
「助けが必要な時には、天使たちに助けを求めてもいい」と教えていただきました。
カバラでは、目に見える物質世界だけがすべてではなく、その背後にある目には見えない世界とのつながりも学んでいきます。私は今回の旅を振り返った時、この言葉を思い出しました。
財布をすられるという出来事はありましたが、パスポートは別に持っていたので無事でした。
クレジットカードも一枚だけ別にしていたため、空港まで移動することができました。
先生に助けてもらい、日本にいる家族にもすぐ対応してもらい、最終的には無事に日本へ帰ることができました。
もちろん、それを「天使が守ってくれた」と証明することはできません。
けれど私は、「もしかすると、今回の旅では、目に見える人たちだけではなく、目には見えない存在にも助けられていたのかもしれない」そんなふうにも感じています。
カバラを学んでいると、こうした出来事の見え方が少し変わることがあります。
偶然として通り過ぎることもできる。
でも、「なぜ私はこの時、助かったのだろう」「なぜ必要な人と出会えたのだろう」「なぜこの経験をしたのだろう」と考えてみると、そこに自分なりの意味を見つけることもできます。
生命の木を学ぶことは、目に見えない世界について知識を増やすことだけではありません。自分に起きている出来事を、少し違った角度から見てみること。自分は一人で生きているのではなく、人とのつながりや、もしかすると目には見えない何かにも支えられながら生きているのかもしれないと感じること。そうしたことも、カバラを学ぶ面白さの一つなのだと思います。
旅から帰れば、日常は続きます。仕事もあります。人間関係もあります。迷うことも、悩むことも、うまくいかないこともあります。
でも、旅に出る前と同じ自分ではありません。見た景色があります。出会った人がいます。心が動いた瞬間があります。学んだことがあります。困った時に助けてもらった経験もあります。そのすべてを持って、また自分の人生へ戻っていく。
今回の旅を通して、私は「学ぶ」ということも同じなのだと感じました。
学びは、特別な場所にいる時だけのものではありません。
学びを受け取ったあと、それをどう生きるのか。どう仕事に活かすのか。どう人と関わるのか。どう自分の人生に落とし込んでいくのか。そこからが、本当の学びなのだと思います。
そして私は、日本に戻り、我が家の玄関の扉を開けました。コッツウォルズの教会で見た、あの「学びの扉」。サマースクールで開いた、カバラの学びの扉。そして最後に、いつもの我が家の扉を開けて帰ってくる。その瞬間、「ああ、巡礼の道はここで終わるのではなく、ここから日常の中で続いていくんだ」と思いました。
今回のイギリス旅行は、私にとって本当に「巡礼の道」だったのだと思います。
旅は、非日常を楽しむためだけにあるのではない。自分の世界を広げるため。今まで知らなかった自分に出会うため。目に見えるものだけではなく、その向こうにあるものにも心を開くため。そして、そこで得たものを持って、もう一度自分の人生を生きるためにある。
だから私は、
旅は、人生を変えるためにある。
そんなふうに感じています。